東京、音楽、衣食住

上京し、四年。

寝れるとき寝ときや。

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朝5時に起きて家出るとか大学時代の私が聞いたらビックリするでしょうね的な写真。

 

ここのところ少ししんどい。精神的にも肉体的にも。というのも"社会"に慣れてしまい、人間関係が密になってきている。。。これが結構クるんです。結構。自分より上の立場の人間が言うその通りにやり過ごさなければならない現状(間違ったこともYESと言うことは流石に無いが。。。)、顔色を伺いながらの作業、帰宅しても尚、やらなければならない家事。嗚呼

そしてさらに年末年始広島に帰れなさそうということが判明。自分で言うのもアレなのだが私は結構今まで家族を大事にしてきたと思う。まあこの二十代中盤にもなって、と思う方もいるかもしれないが単純計算で家族に会えるのはあと何回なんだろう。悲しい。なら広島捨てて東京出て来るなよって感じだけど

 

追記

最近は芸人を狙っています。

 

ださ。

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昨日熱中症になり仕事を早退。あまり記憶がないが職場の子が熱さまシートを買ってきてくれたりして感謝の気持ちがあったのは覚えている。友人とご飯を食べる約束をしていたが勿論キャンセルし直帰。

日は明けて今日は休みだった。本日フィルム・カメラが届く予定だったので起床してから何回かポストに見にいく→入ってなくてガッカリ を繰り返した。夕方になりダメ元で最後の一回、見にいったら入っていたのでウキウキで開封。用意周到にフィルムは買っていたので挿入するが何回やっても「E」の表示が出てしまう。結局ズルズルズルとフィルムを引き延ばしてしまい一本ダメになってしまった。トホホ。(2本目はあっさりと成功。嬉し気に何枚も撮影)

夜になり、お腹が空いたが家に何もなかったので買い物ついでにかねてから欲しかった有吉の本を本屋に探しに行った。が、特殊な文庫のために数軒まわっても無かった。そのあとダメ元で古本屋に行ったらアッサリとあったので拍子抜け。其処でナンシー関のおもしろそうな著書があったのでソレも買った。おもしろ「そう」ということで買った本だったが、案の定面白く本命の有吉の本よりのめり込んでしまった。

その本を読みながらアメトーークを観ていたけどなんだかな、最近のアメトーークは観る気が起きないんだよなー。もちろん面白さはあるけれどマンネリ感というかどこかで見たことあるような感じがある。あと宣伝感が半端じゃないっていうところも。ま、イチ視聴者のにわかが語っても。。というところでしょうか。

しかしまあ、あらゆる事柄に関して、「ナンシー関が存命だったら…」と思うのは本人に笑われそうで。彼女のファンになったのは彼女が亡くなってからだ。うーん、何だか今までちょっと下に見てた、フジファブリック志村の逝去後にフジファブリックのファンになった人たちを笑えない気分。

 

いいじゃないか、いつファンになろうとも。多くの絵画作品も没後価値が出てくるっちゅーもんよ。

 

東京にも慣れて

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久々の投稿。

まあ東京に慣れてと言ってももう丸四年以上は此処で過ごしているわけですから。

地元の人達(イコール友達というわけではないので誤解無きよう。)は、私が東京の話をするとすぐ「(本当は田舎者なのに、)数年住んだだけで東京人のツラしやがって。。」みたいなことを影でコソコソ言うのが本当に面倒くさい。何故田舎の人はあらゆることに関して基本的に村八分スタイルなのだろうか。

東京の人は""そんなこと""を考えずにただ受け入れてくれている。そのクールさが丁度いい。有難いし、自分に合ってるなあと思う。

高校時代の恩師に「関西は合ってない、東京に行け」と言われたことがある。当時は(何故?)と思っていたが、東京に出てきたり関西に遊びに行ったりして、その恩師の言葉と、最終的に自分がした選択が間違ってなかったと実感している。

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一昨日、昨日今日の休みを獲得したので念入りに如何に計画的に休みの日を過ごすかを考えていたらいつのまにか朝になっていた。まあそれはそれでヨイ。

明け方5時過ぎまでインターネットの海を泳ぎ、いつのまにか就寝、そして昼ごろ起きた。もちろんノーアラームで起床。もはや携帯も充電してなかったがオールオッケーなところが休みってやっぱ最高だね、という感じだった。

 

さて一日どうするか?、甲子園は休養日(大切)であることは前々から知っていたので、明日もあるし意味もなく部屋に篭るのもなあ、ということで何となく外に出るかという気分になった。

となると、中央線沿いに住んでいると都心に出るのが便利すぎるくらい便利である。

実際最寄りから数駅で目的地へたどり着いた。かねてから韓国コスメthe SEAMのアイ・シャドーやコンシーラーが欲しかったので買いに行った。韓国には何度も訪問しているのでそれらを日本で買うのが如何に馬鹿馬鹿しいかは十分知っていたのだが、それでも物欲には勝てず買ってしまった。

 

そして帰りに中野ブロードウェイに寄った。ブロードウェイには用もなくかなりの頻度で立ち寄るのでおそらく私は相当好きなのだと思う。行くたびに思うが、毎回新たな発見があって本当に面白い。(自分が元々〝オタク〟気質なところも余計にそう感じさせているのかもしれないが。。)

西友の隣のお花屋さんでまさしく理想のドライフラワーが100円で売られていたので購入。こういった「出会い」があっただけでも外出した甲斐があったと思う。

 

と書いてしまうほど、普段休みの日は部屋から一歩もでないのである。。。

 

明日は広陵の準決勝を見るぞ。

初回

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2010年代に入り、没個性的な世の中になっ(てしまっ)たように思う。こう言えば懐古厨と思われるかもしれないのは百も承知であるが、ルーズソックスにガングロメイクをして原宿を歩いていたいわゆる“ギャル”の存在が懐かしい。また思い返してみると、友人と親しくなるためのツールであった“プロフィール帳”、団地の公園でやっていたケイドロ、氷おに、シール交換等、アナログチックな交流もインターネット社会になった今、また同じように恋しく思える今日-キョウ-この頃である。

 今日-コンニチ-のSNS社会において、没個性的なニンゲン(愛子さまが買っている犬の名前ではない)になってしまった我々は、どうも他人の目が気になってしまうことが多くなったように思う。ツイッターInstagramフェイスブックに投稿するとすぐに(「〇〇するとすぐに」という文章は、as soon as〜の構文を思い出す。) その投稿に対する“リツイート”や“いいね”、“お気に入り”の数をチェックしてしまうのは現代人間のサガと言ってしまっていいだろう。そして、それらを他人と意味も無いのに比べてしまうのもまたサガである。(先日、青山テルマ氏が「それらの数でなく“自身の視聴率”をあげよう」と雑誌のインタビューで言っていて、心の中から拍手を送った。)

 そのような、ある意味 富・コミュニケーションであり、かつ、面倒臭くもある社会から隔離された超-スーパー-個人的な意見をつらつらつらつらつらつらつらつらつらつらつらつらつらつら(長ったらしい)と述べる、超-ちょう-個人的スペースが必要ではないか とふと今日、2017年3月1日、2018年度卒業者の「就活解禁日」に思い立ち、このブログを開始することにしたわけである。名前を出すわけでも、身分を名乗るわけでもない。そんなイチ小市民による、小さな気附きをつらつらと連ねていく予定である。

 尚、「東京、音楽、衣食住」というタイトルは、筆者がティーン時代から尊敬してきた(has been)存在である故・志村正彦氏の書籍タイトルから借用したものである。志村氏は「東京、音楽、ロックンロール」とrock 'n' rollの精神を持ち合わせていたが、その精神は筆者には備わって否いと判断し、その代わりと言っては何だが筆者が人生に於いて最も重要であると考えている“衣・食・住”をテーマとさせて戴いた。

 

上京し、四年が経つ。十分と言うべきかまだというべきかまだ分からないーーそのうちは“まだ(短い)”と言うべきなのかもしれない。その、“まだ”の期間に於いて、場所(エリア)、音楽、衣、食、住の総てで未だベストを見つけられていない現状がある。このブログは、その各々のベストを探す過程を記すことを目的とすることを此処に宣言する。